クルマは、気心の知れた友人か、恋人か!?


11月の最後の良い天気の日曜日、旧車&ヤングタイマー※のイベントに出かけた。

同日にラリーも開催されていたが、私が会場に着いた頃は出発していた。

ピカピカに磨き上げられた展示車を眺めながら、

オーナーの心意気が伝わり、図らずも胸が熱くなった。

生産から数十年も経たクルマたち。

現代のクルマにはない色気とスタイリッシュな佇まいに、見とれてしまう。

 

クルマはキカイだから、当然に壊れることもある。

ことに、旧車・ヤングタイマーの類はそれ相当に経年しているから、

壊れる頻度も高くなり、不調の時も多くなる。

オーナーは、そんな時、その都度、愛を試され、

ある人は愛し続ける決意をし、ある人は愛に挫折し、別れを選択する。

 

愛され続けるクルマはさらにオーナー好みにカスタマイズされたり、

メンテナンスを欠かさず施されたりしながら大切に動態保存される。

 

会場の展示車は、そんなオーナーの愛をたっぷり注がれた旧車・ヤングタイマーの趣味車たちだ。

(通勤・通学、送迎・買い物等日常使いするクルマは別にある、という方も多い)

 

日進月歩で進化するテクノロジーはクルマにも浸透し、

今のクルマは気の利いた電気製品のような「ビークル」になってしまった感もあり、

メーカーは「モビリティ・サービス」業への転換を急ぐ。

 

AIやIoTさらにはIoEを搭載したビークルの登場は、

ある意味「20世紀初めの米フォードによる自動車革命に匹敵する革命」らしいが、

やれやれと昭和のおじさんは思うのである。

旧いクルマより、ある意味格段に便利になったし、安全性能も高くなった。

燃費もよくなり、内燃機関を持たない電気自動車も走っている時代だ。

 

しかし、だ。

何か大切なものを置き去りにしているような気がしてならない。

EVの普及を先鋒としたカーボンニュートラルの流れに異を唱えるつもりはないが

例えば、クルマ業界やIT企業がこぞって開発にしのぎを削っている「自動運転」。

それよりも前に対応を急がないこといけないことがあるのではないだろうか。

例えば、ドライバーに運転マナーや交通ルールをきちんと守らせ、

交通事故を未然に防いだり、危険運転をさせないように

クルマをコントロールするシステムとかの開発の方が先じゃないですかと、思うのだが。

 

地球環境保全のためという大義名分を振りかざして

ガソリン(内燃機関)車を駆逐しようという世界(主に欧州?)の流れは

ますます圧力を増しているが、

例えば、旧いクルマをきちんとメンテナスしながら長く乗るのと、

新車を次々に買い換えていくことと、どちらが地球環境に負荷を掛けるだろうか?

 

今年11月18日の「トヨタイムズ」に掲載された日本自動車工業会のオンライン記者会見で

豊田会長はカーボンニュートラルに関してこう発言している。

「敵は炭素であり、内燃機関ではない」

また、日本の強みを生かしたカーボンニュートラルの実現へ向けてこうも語った。

「日本には、軽自動車から二輪・大型まで、また、ハイブリッド車から電気自動車、水素まで、

多様な選択肢が揃っております。だからこそ、この強みを活かした、

日本らしい山の登り方があると申し上げてまいりました。

それを“レース”や“社会実装の現場”で、行動で示し続けてきたことで、

少しずつ私たちに共感してくださる方が増えてまいりました」

 

燃費、CO2削減、快適な室内空間、安全性能、繋がるIT装備等々

大切ではあるが、それがすべてではないだろう。

クルマなのにそれだけの評価基準や価値観なんて、人生寂しいじゃないか。

動力源の「多様な選択肢」はもちろん、

デザインやエモーショナルなところも、大事なはずだが。

例えば、クルマは気心の知れた友人か、恋人か、という擬人化の感覚は

運転する喜びを与えてくれるし、走っているだけで充実した時間を持てる。

ある意味、愛車と会話ができるということは、人生を豊かにしてくれると思う。

(変人といわないでね)

 

◎余談

私は、クルマに乗っているときくらい「誰とも繋がりたくない」と思う人間だ。

愛車との会話を邪魔されたくないのかな(笑)。スマホは持って乗るが、

これは愛車が機嫌を損ねて走るのを拒否した時にJAFにSOSを発するためだ。

 

まぁ、こんなことを思うのもの、今や少数派なのかもしれないけどね。

ガンバレ!愛しの旧車・ヤングタイマー(のオーナー)たち!!

 

※ヤングタイマー:「ちょっと古いクルマ」の総称。ざっくり、1970年代以前のいわゆる「クラシックカー」ほど古くはない、「1980年代から2000年代にかけてのクルマ」を指すことが多い。